「日本は、絶対に戦争をしない平和憲法を持って世界唯一の国だ」と、憲法第9条を誇りに思っている日本人は多いと思います。ですが、これ勘違いなのです。今回は、今さら聞けない憲法第9条について解説していきます。
「日本の憲法9条にノーベル平和賞を」という声も聞こえるくらい、第9条が、戦争を放棄している「世界に誇る」憲法である、という認識を持っている方も多いでしょう。
ですが、戦争を放棄している国は、実は日本だけでないのです。
国連に加盟している国すべてが、「戦争を放棄」しているのです。そして、世界が武力行使できる理由は、日本と同じ「自衛権」が発生した場合だけです。
どういうことなのでしょうか?
今回は、今さら聞けない「9条の意味と問題点」、そして武力を放棄しているはずの日本が、なぜ「自衛隊」と持っているのか? ということについてお話します。
※いくつか「法律」が出てきます。大変読みにくいので、面倒であれば飛ばしても、この記事の内容は理解できます。
第9条は国連憲章の焼き直し?
改めて、憲法第9条を見てみましょう。学校で習いましたよね。
ここでは、まず「1項」について、解説します。これは日本独自の憲法ではなく、世界中がこのような憲法を持っているのです。
戦争を放棄しているのが、日本だけではないのです。
初めに「パリ不戦条約」があった?
まず、1928年8月に「パリ不戦条約」が締結されます。
簡単に言えば、「国際紛争の解決のために、戦争をしてはいけない」とする「戦争放棄に関する条約」です。
当初の加盟国は、米国・イギリス・ドイツ・フランス・日本などの15か国で、その後、63か国まで拡大しています。
「パリ不戦条約」以前の国際法では、国家は「宣戦布告」を行えば、自由に戦争を行うことが認められていました。交戦権にもとづいて、他国の領土を占領したり、海上封鎖を行って、他国の船を拿捕することが出来たのです。
「パリ不戦条約」以降は、「戦争」が国際法において「違反行為」となりました。
このとき違法となった「国際紛争解決のための戦争」とは、「自衛戦争」「制裁戦争」を除いたもの、つまり「侵略戦争」を意味するとされました。
次は国連憲章2条4項
しかし、この「パリ不戦条約」があっても、第2次世界大戦を回避することはできませんでした。
ですので、大戦後に作られた「国連憲章」では、武力による威嚇と武力行使を違法とすることが定められました。
つまり、「独立している国家」に対して、武力での威嚇・武力の行使は違法であるとして、パリ不戦条約に比べて、より強力に「侵略戦争」を否定する内容となっています。
日本は、パリ不戦条約に加盟していながら、第2次大戦において、中国大陸への「侵略」を行いました。
この歴史的事実から、日本は、ドイツと共に、国際法を破った「ならず者の国家」とみなされました。
日本やドイツが、また国際秩序を乱すような暴挙を行わないよう、この国連憲章を遵守する形で、日本国憲法第9条が起草されています。
つまり、第9条は、日本に国際法を遵守する精神を植え付け、これからは国際秩序を守って国家運営をするように、戦勝諸国が日本につけた「首輪」であると言えます。
世界中にある「平和憲法」
このことは、第2次大戦で同盟関係にあり、同じく敗戦国となった「ドイツ」「イタリア」でも同じです。
以下は、ドイツ・イタリアの憲法です。
かなり読みにくいですが、日本憲法と同じく、「侵略戦争」、また国際紛争を解決するための手段としての「戦争」は放棄する、と明記されています。
このように、「戦争を放棄」する憲法を持っているのは、決して日本だけでないのです。
さらには、40年代に独立したアジア諸国、60年代に独立したアフリカ諸国、中東諸国の憲法の多くは、「国連憲章」をもとに作られています。
お隣の国の韓国も同じです。
以上、お話してきたように、「平和憲法」は決して日本独自のものでもなく、世界に誇れる憲法でもありません。その元ネタは「国連憲章」であり、世界各国が同じような憲法を持っているのです。
学校では、「第9条」について授業しますが、元ネタである「国連憲章」また、世界各国の憲法については触れません。
このことが、「平和憲法を持っているのは日本だけなのだ」という誤解を生むのでしょう。
コラム なぜロシアに侵略戦争ができるのか?
2023年5月現在。ロシアによるウクライナ侵攻が始まって、1年以上が経ちました。ロシアも国際連合加盟国であり、国連憲章を遵守する立場にあります。
つまり、ロシアの行為は、国際的に違憲であるはずです。
では、なぜロシアは、ウクライナへの「侵略戦争」ができるのでしょうか?
その理由は、大きく2つあります。
- ロシアが、国連安保理の「常任理事国」である
- ロシアが、「侵略戦争」だと認めていない
それぞれについてお話します。
1,ロシアが国連安保理の常任理事国である
国際的に見て、ロシアの行為は明らかに「侵略戦争」ですので、ロシアが、ウクライナに侵攻を初めてすぐに、国連安全保障理事会(安保理)で、次のような決議案が提案されました。
「ロシアは、ウクライナに対する、武力行使を即時に停止し、すべての軍隊を、即時、完全、無条件に撤退させること、など」
当然の決議案ですが、常任理事国であるロシアが、拒否権を行使したため、この決議案は成立しませんでした。
常任理事国とは、アメリカ合衆国・中国・イギリス・フランス・ロシアのいわゆる「5大国」です。この中の1つの国が「拒否」した場合、提案された決議案は、成立されることなく廃案となってしまうのです。
2,ロシアは「集団的自衛権の行使」だと主張している
拒否権を行使するには、それなりの「理由」が必要です。
ちょっと簡単に言いますと、ウクライナ東部に住んでいる「ロシア系の住民」が、ウクライナから虐殺されているから、それを助けるために、「集団的自衛権」を行使しているだけなのだ、というわけです。
国連憲章の第51条では、「個別的自衛意見」及び「集団的自衛権」の行使するために、戦争することは認めています。
ロシアは、この51条にのっとって、集団的自衛権を行使しているにすぎないと主張しているのです。
当然もことながら、世界各国はロシアを批難しています。
ですが、ロシアが国連安保理の常任理事国であり、「拒否権」を持っていることから、国連であってもロシアの侵略戦争を止めることができない、というのが現状なのです。
日本でも自衛による戦闘は認められている?
9条1項を読むと、すべての戦争を放棄する、とも読めます。
ですが、国際的には、国連憲章51条にもあるように、「自衛権」による戦闘行為は認められています。
ここで、国連憲章51条を載せておきます。
安全保障理事会は、措置をとるまで、という条件付きですが、自衛のための戦闘は認められるのです。
日本も国連加盟国です。
当然「自衛権」を保有しています。
ですから、9条1項の解釈としては、「侵略戦争は放棄するが、自衛権にもとづいた戦争は放棄したわけではない」としているのです。
日本も戦争ができる国なのです。
個別自衛権と集団的自衛権とは?
それでは、「自衛権」とは何なのでしょう?
自衛権は「個別的自衛権」と「集団的自衛権」に分かれます。
個別的自衛権は、自国が、他国から攻撃された場合、国土や国民を守るために、武力行使を行うことです。
集団的自衛権は、ある国が攻撃を受けた場合、直接には攻撃されていない第3国が、攻撃された国と協力して共同で防衛することを言います。
国連憲章では、どちらの「自衛権」も認められています。
ですが、日本国内では、「集団的自衛権は持ってはいるが、行使できない」というあやふやな理屈で、その行使を否定しています。
1981年に出された、鈴木善幸内閣の政府見解でも、以下のように述べられています。
「我が国が、集団的自衛権を保持しているのは、国際法上当然であるが、第9条において許されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最低限の範囲にとどめるべきであり、集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるものであり、憲法上許されない」とし、
さらに、「集団的自衛権を行使しないからといって、不利益が生じることは無い」としています。
国民の中でも、個別的自衛権の行使は良いが、他国のために戦う集団的自衛権の行使は、「自衛の範囲を逸脱しているのでは?」「集団的自衛権は、好戦的で、危険な臭いがする」というような認識があるのではないでしょうか?
でも、それは誤解です。
集団的自衛権こそ大事?
ここでは詳しくお話しませんが、国連憲章51条に「集団的自衛権」が明記された経緯には、小国が、他国から攻撃された場合、単独では防ぎきれなくとも、小国同士が協力し合って防衛しよう、という思惑があります。
他方で、集団的自衛権に頼らず、自国だけで防衛しようとすると、それは、軍事同盟などを認めない、ということですから、単独で守るために、多額の軍事費用が必要になります。
実際に、敗戦国である西ドイツは、しばらくの間、NATOに基づく「集団自衛権」のみが認められていて、個別的自衛権と単独で行使することは認められませんでした。
ソ連に対抗する必要性がありながらも、「ナチス」の再来を、西側諸国が恐れたからです。
これは、「個別的自衛権」の方が、「集団的自衛権」よりも抑制を効かせることが難しいことを表しています。
また、「冷戦」のもと、集団的自衛権によって構成されたのが、「NATO」「ワルシャワ条約機構」ですが、冷戦が終わる1989年までに、それぞれに加盟している国同士での戦闘は一切起こっていません。
なぜなら、条約加盟国同士で、戦闘が始まると、第3国が参加してきて、戦闘の規模が大きくなる恐れがあるからです。
このように、「集団的自衛権」は、戦争が起こらないように「抑止」する役割があるのです。
日本の安全を守るためにも、「集団的自衛権」の行使についての議論を深めていく必要があります。
※ちなみに、ワルシャワ条約機構は、冷戦が終了した後、1971年に解体されました。現在では、「集団安全保障条約機構(CSTO)」に変わり、ロシア連邦の他6か国が加盟しています。
コラム 日本はNATOに加盟していない?
NATOには、「加盟国のうち1か国でも武力攻撃を受けた場合、その攻撃を全加盟国の攻撃とみなす」という条文が存在します。
「集団的自衛権」の行使について、あいまいな態度を取っている日本が、NATOに加盟することは、今のところできない状況なのです。
また、地理的な理由もあります。
NATOは、「北太平洋条約機構」の略で、北太平洋地域の安全を主眼とした同盟です。
日本は、アジア・太平洋地域に位置する国です。
ヨーロッパ諸国との安全保障より、アジア地域において独自の安全保障政策を取ろうとしていることも、NATOに加盟しない理由と言えます。
戦力を保持できないのに自衛隊は持って良いのか?
ここからは、第9条第2項についてお話します。
第2項において、日本は、「戦力」を持たない、となっています。
そんな日本が、なぜ「自衛隊」を持つことができるのでしょうか?
結論から言えば、自衛隊は「戦力」ではないからです。
9条2項のもとの文言は違う?
当初、提案された9条2項は以下の通りでした。
提案当初は、「前項の目的を達成するため」という文言がありませんでした。
1946年8月、憲法改正草案を審議する委員会において、その委員長であった芦田 均衆議院議員が、「前項の目的を達成するために」という文言を挿入しました。
このことは、「芦田修正」と呼ばれています。
これは、戦争を遂行するための能力=戦力は持たない、という解釈が単純に成り立ちますが、裏返すと、以下のような解釈も可能になります。
9条1項で禁止されている戦争は「侵略戦争」である。
ならば「前項の目的を達成するため」とは、「侵略戦争を達成するため」となる。
一方で、「自衛権行使の戦争」は認められている。
であるから、「侵略戦争を達成するための戦力は保持しない」が、「自衛権行使のための戦力なら保持しても良い」
芦田修正が、何を意図したものかは不明ですが、「前項の目的を達成するため」という文言を追加したばかりに、「自衛隊は合憲である」という解釈が可能にはなったのです。
ただ、現在の政府会見では、芦田修正を根拠にしていません。政府見解は以下の通りです。
「自衛のための必要最小限の自衛力を越えたものが戦力であり、自衛隊は戦力に該当しない」として、
自衛のために保持する「必要最小限の戦力」である自衛隊は、戦力=軍隊ではない。
逆に言えば、「戦力=軍隊」とは、侵略戦争はできる能力である、ということです。
ですが、最新鋭の戦闘機、戦車、イージス艦を保有している自衛隊を、世界は軍隊と見ています。
「自衛のための実力なのだから、自衛隊は軍隊ではない。だから合憲である」という変な理屈は、国際的に見て通用しないでしょう。
さて、日本国内では、軍隊ではないとされているので、自衛隊は活動する上で、いろいろと問題と抱えています。
ここからは、自衛隊は本当に日本を守れるのか? というお話です。
自衛隊は危険な存在?
「自衛隊は、憲法と法律で、がんじがらめに縛られていて、まともに防衛活動もできない」と思われる人も多いでしょう。
ですが、真実はその逆なのです。
9条2項があるために、自衛隊に関わる「法整備」が全くできていないのです。
なぜなら、日本は軍隊を持たないことが前提なので、通常の国なら持っているはずの「軍事」「防衛」に関する法律を作ることができないからです。
自衛隊は、本来ないはずのものなので、統制することができていないのです。
日本には、本来あるはずの「戦力統制規範」がありません。
戦力統制規範とは、文民統制(シビリアンコントロール)、国会事前承認、軍法根拠規定など、軍事力の濫用を制御するための規定です。
これが日本では法整備されていません。
また、自衛隊の武力行使を、「戦時国際法」の交戦法規にしたがって統制する国内法体系もありません。
自衛隊が、戦時国際法に違反した場合でも、国内での法律がないので、裁くことができません。
これらのことは、軍隊が暴走しないための「安全装置」がないことを意味します。
自衛隊は、法にがんじがらめにされているから、使いにくい軍隊ではなく、暴走を止めるための「安全装置」がない、危険な軍隊になってしまっているのです。
「自衛隊法はあるのでは?」と思うかもしれませんが、「自衛隊法」は、自衛隊の組織運営や職務について規定するもので、国が自衛隊をコントロールするための法律ではありません。
さらに、日本では、軍隊に関する法律が整っていないばかりに、日本を守るどころか、自衛隊員を守ることもできない状況になっています。
軍法会議は無いと困る?
日本には、軍隊を持っている国には必ずある、軍事裁判所(軍法会議)がありません。憲法76条2項によって、特別裁判所の設置が禁止されているためです。
軍法会議がないことは、自衛官にとって、非常に不利なことなのです。
今や、自衛隊の活動が海外でも行われています。
そこで、もし自衛隊員が武器を使用して、謝って民間人を射殺してしまったら、軍法会議がないので、一般刑法で裁かれることになります。
この場合、通常の刑法第199条が適応され、「人を殺した場合、死刑または無期、もしくは5年以上の懲役に処する」という判決になるだろう、と言われています。
つまり、「平時」と同様の法律が適応されるしかないというのです。
これでは、自衛官の「足かせ」」になり、何もできない、という状況になりかねません。
武器の使用は「個人責任」?
普通「武力行使」=「武器の使用」であり、2つの言葉の意味は、ほとんど同じであるはずです。
ですが、日本の法律上では、この2つは全然違う概念になっています。
ひとたび「防衛出動」が発令されれば、自衛隊は、戦時国際法の範囲内であれば、すべての武器を使って、相手を撃墜、撃沈、撃滅することができます。
これが「武力の行使」です。
「武力の行使」は、国際法上、国家に認められた自衛権の行使です。
「やってはいけないこと」は、戦時国際法に明記されていますので、そこで禁止されている以外のことは、すべてやってしまってもいいのです。
「武力の行使」の主体は、当然、自衛隊です。
他方で、「武器の使用」となると、簡単に言えば、「正当防衛」「緊急避難」に該当する場合のみ、「武器の使用」が認められます。
自分や他人に、危機が迫っていないにもかかわらず、武器を使用することはできません。
そして、その主体は、自衛隊ではなく「個人」です。
つまり、相手を撃つか撃たないかは、個人の判断にゆだねられている、ということです。
ですが、戦時下において、自衛官個人の判断で勝手に攻撃することはありません。
自衛隊は、組織として行動するので、上官からの命令により、攻撃します。
自衛隊法では、上官の命令は「絶対」です。
上官からの命令により攻撃し、それが「正当防衛」「緊急避難」に当たらなった場合、上官も責任を負うのが当然ですが、日本の場合、その責任は、武器を使用した「個人」にあります。
つまり、命令した上官は責任を負うことはなく、裁かれるのは武器を使用した自衛官個人となります。
先ほど言いましたように、日本には「軍法会議」がないので、この場合、一般刑法により、殺人罪や傷害罪が成立することになります。
これでは、いくら国民の財産や生命を守るためとはいえ、躊躇なく武器を使用することができるのでしょうか?
おわりに代えて 日本人の「言霊信仰」
非常に簡単ではありますが、憲法9条、自衛隊についてお話してきました。
自衛隊は、軍隊と言える武力を保持しています。ですが、そのことをきちんと議論してこなかった経緯があります。
これは、日本人の持っている「言霊信仰」に由来するところが大きいと思います。
例えば、結婚式のスピーチで、「切れる」「別れる」というような言葉を使うのはタブーとされていますね。
これは、その言葉を口にすると、「その通りになってしまう」という「言霊信仰」によるものです。
日本では、今でも自衛隊を軍隊として認めようとはせず、「集団的自衛権」についても、その行使を棚上げにしています。
これは、自衛隊を軍隊と認め、さらに「集団的自衛権」を認めてしまうと、「言霊信仰」により「本当に戦争が起こってしまう」という意識があるためです。
ですが、今回お話したように、世界のほとんどの国が、軍隊を持っていても、戦争(侵略戦争)は放棄しています。
また、「集団的自衛権」という概念を持つことで、むしろ「戦争の抑止」になっています。
現在も進行している、ロシアによる「ウクライナ侵攻」の最大の原因は、ウクライナがNATOへの加盟を希望したためですが、もしウクライナがNATOに加盟できたなら、ロシアは侵攻することは無かったでしょう。
なぜなら、ウクライナがNATOに加盟できていたなら、「集団的自衛権」により、ロシアは、NATO加盟国すべてを敵に回すことになるからです。
ロシアのみならず、北朝鮮、中国などの動向により、日本の防衛は、拡大していく方向へ進んでいます。
「言霊」を信じるのではなく、二度と戦争が起こらないよう、憲法と自衛隊について、私たち国民が、真剣に向き合うときが来ているのではないでしょうか?
おしまい
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